安達 直
マスメリット
今日では外国航路の就航船は殆どが巨大船だが、1970年以前には原料品を除く海上輸送の担い手は「雑貨船」とも称された1万総トン級の「在来型貨物船」が主役であった。
1976年に大阪商船三井船舶(株)に三等航海士として入社した私も貨物船『たこま丸』TACOMA MARU /JDMIに初乗船した。本船概要は次の通り。
三菱神戸造船所、起工1961.12、 進水1962.4、竣工1962.6.20、総トン数9,294、ディーゼル主機関1基 約1万馬力、満載/軽貨速力18.2/20.9kts、全長150m、全幅20m、深さ10m程度。
当時の定期船海運会社は、世界中で雑貨船の運航に鎬を削っていた。これらは大方、在来港の外国貿易埠頭に着岸し自船のデリックやクレーンを使って荷役したので、多くの港湾労働者が船倉の内外に散開して活気に満ちていた。皆其々に、貨物の揚降し・捌き・検数・検査等に従事し、岸壁にはトラックが順番待ちの列をなしてコンテナ化が始まる前の労働集約的な形態で賑わっていた。雑貨船の安全且つ効率的な運航には船員の海技力が肝腎要であり技量練磨のモチベーションが高く、船員育成に恰好のOJT環境が整っていた。とにかく1万総トンの貨物船でも斯くも多量の貨物が積めるのかと感心した。こんな調子の荷役には時間が掛かり停泊は数日間に及んだので、非番の船員達は世界各国を垣間見る社会学習に勤しんだ。今も私の脳裏には、エジプトのピラミッド・ローマ競技場・ナスカ高原等が強く焼付いている。こうして人間臭い港街が発展して「みなと港の紅灯の巷でのロマン」が生まれたのだろう。
1970年代以降、定期船の荷役革命であるコンテナ化が進み雑貨船はコンテナ船に淘汰された。一般雑貨は元より固体や液体の撒荷から完成車・ボートの類まで、あらゆる貨物を標準コンテナに詰めて同一荷姿で扱う画期的な海陸輸送システムに移行した。標準規格の強固なパッケージ化により迅速にトラックや列車で陸上輸送され高速大量輸送に拍車が掛かった。それらが荷役装置を持たないコンテナ船で運ばれ、新たな埋め立て埠頭の専用岸壁に備えられたクレーンで整然と積降しされる。そこには貨物船の倉内で貨物繰りやフック掛けにごった返した港湾労働者の姿は無く、甲板積みコンテナの固縛作業に少人数が従事しているだけである。勿論、在来港や市街地からは遠く離れており、かつての繁栄地は閑古鳥が鳴き、機能化された非人間的な新港地区が広がっている。
※写真はイメージ
船員の職務は、航海・機関・通信・事務に分けられるが、今では前2者に集約され船舶運航の責任者となる航海士と機関士が分担している。彼らは新卒で入社すると最下位職の四等航海士/機関士として鍛えられ自己研鑚を重ね、充分な経験に裏打ちされた海技力と人格を身に付けてそれぞれの最高職位の船長・機関長へ昇進する。各職位昇進の直後に乗る船は、新米の教育と同様に小さ目の1万トン級の貨物船とされ、経験を積んでから巨大船に進むのが順当な船員配乗の手法であった。年季の入った三等航海士が船橋に立つと新米の船長から一目置かれたように、当時の乗組構成は海技集団として底辺の広い潤沢な陣容であった。今日では人件費の高い日本船員を多数乗り組ませる船舶は殆ど無く、雑貨船も専用の巨大船に合理化された。従って今の新卒者は新米士官となっていきなり巨大船に始まり、大過無ければ船長や機関長になる。それを補うように危険貨物を運ぶタンカー等の船員には各職位での必要経験年数の規制がなされ始め、陸上勤務等で乗船履歴が減った日本人船員は乗船できない状況も生じている。恰も技能習得が確認された船種に限定した運転免許制度のようだ。
船体の長さが2倍になっても鋼板の厚さや重量は2倍にはならず、因ってスケールメリットを得られるのだが、どうしても脆く・弱く・鈍く・重くなってしまう。同じ重力環境で運動性と堅牢性を維持して大型化すると経済的に成り立たないばかりか、技術的にも限界となる。従って経済性を重視する商船では「新登場の史上最大船」の船体強度や操縦性能に関して未曾有の最低レベルを甘受せざるを得ない。そんな船舶でも船舶建造に関する法律や規則を充足しておれば管轄官庁と船級協会によって船舶として認可登録される。巨体故の貧弱な操縦性能と船体や設備の脆弱性を熟知の上、研ぎ澄まされた感性で運航しなければならない。巨大化した船舶は、もしも壊滅的、若しくは相当な損傷を受ければ、船舶と積荷のみならず周辺環境へも甚大な影響を及ぼす輸送システムとなってしまった。こうした船舶の安全運航はどのように評価され管理されているのか、大いに関心の高まる処であろう。恐竜が環境に順じて大型化し地球上を制覇したが、後の環境激変には大型化が仇となり滅亡した。輸送する貨客が大量になる程に事あれば完全な救助は到底出来ず、必然的に大きな犠牲を払わざるを得ない。今までにも巨大船の大規模な海難はかなり発生して教訓を与えたが、究極的な再発防止策の根幹とすべき巨大化を制限する理性は未だに働いていない。海難による災害から人命、財産と環境を保全できる防御・制御能力の範囲で大型化が制限されると一安心できよう。現実の社会では歴史に学ぶ人類が英知を集めて不戦の努力をしてもなお戦争を繰り返しているのだから、海難たるや当然なのかもしれない。しかし海難防止対策は、地球環境の保全のためにも妥協抜きで考えるべき時に来ている。動物は復習ができる程度だが人間となれば予習もできる。何か気懸の残るような姑息な方策では将来の大禍を招くだろうから正道を進むのが、即ち王道でありそれが易道となろう。「波騒は世の常である。波にまかせて泳ぎ上手に、雑魚は歌い雑魚は踊る。けれども誰か知ろう。百尺下の水の心を。水のふかさを。」吉川英治は「宮本武蔵」で述べている。