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巨大船

安達 直安達 直

還暦を機に、櫓櫂舟から巨大船までを操ることに恵まれた海技者として、また、その海技力を礎にした船舶管理者として、海運が急成長した時代を生きて心に残った経験や持論を纏めておきたい。これが、島国に住みながら何故か海洋と船舶に心の底から馴染めないのか、それらを文化基盤と成し得ていない日本人への水先案内になればと思っている。海や船に関わっている人か否かを問わず、それらの素養として読んでもらいたい。

巨大船の発展

日本では、船舶交通の輻輳する主要海域に適用される「海上交通安全法(海交法)」”The Maritime Traffic Safety Actsがあり、全長200m以上の船舶を「巨大船:Huge vessel」と定義している。(以下「巨大船」はこの定義に拠る)今や全長400m超も出現しており、200m級の巨大船は普通サイズとして世界の海に犇いている。されど日本の他に巨大船を定義した航海関係の法律や条例は聞いたことがない。海交法の制定は昭和47年と新しく、日本経済が急成長した頃から船舶の大型化が進んで船舶交通の輻輳海域が多くなったようだ。その目的は輻輳海域と巨大船を特定すると共に、航路や特殊航法等を規定して航行の安全を確保する事である。通常、大きな海原を航海するには大船である程に耐え凌ぎ易くなるので、これに例えて余裕十分な状態を「大船に乗った気分」と言う。しかし現代の大船は、船体強度や操縦・動力性能を必要限度内に抑えて載貨スペースの極大化を図った産物と心得るべきである。特に荒天や輻輳海域では、その性能を考慮して全てに余裕を持って運用すべきである。老若の身軽さの違いにも似て体力や運動能力が劣れば、行動を慎重にして転倒≒衝突を避ける事を基本的な保身術とすべし。

※写真はイメージ

  • 第一次世界大戦前の1900年代初頭、最大級客船は3万総トンと全長200mを超えた。有名な『タイタニック』は1912年竣工、46,000総トン、全長270m、推進機関56,000馬力、推進器3軸、速力22ktsに達した。
  • 推進機関馬力は「トン馬力」(馬力数÷総トン数)が1以上と強大になり、大西洋を4日弱で横断する速力25kts超の客船も現れ、著名な航路では最短航海時間(その記録を樹立した船舶には、ブルーリボンの称号が与えられた)を争う時代に入った。『クイーンメリー』は1936年竣工、80,000総トン、158,000馬力「トン馬力≒2」、推進4軸、29ktsの最速を誇った。
  • 第二次世界大戦前の日本最大客船『鎌倉丸』は1930年竣工、17,000総トン、170m、ディーゼル機関16,000馬力、4軸、21ktsで、世界の一流客船の航走性能には少し及ばなかった。
  • 大戦後の客船は渡航手段の座を飛行機に譲り、速力よりも優雅な航海・居住性能を優先させるクルーズ船として進化し始めた。史上最速の客船『ユナイテッド・ステーツ』は1952年竣工、53,000総トン、全長302m、22万馬力、4軸、33ktsであった。
  • 因みに日本の軍艦は『長門』が1920年竣工、40,000排水量トン、220m、10万馬力、4軸、28kts。『大和』は1940年竣工、70,000排水量トン、263m、16万馬力、4軸、27kts。既に世界最高水準のサイズと性能を凌いでいた。

最近の商船では、

  • コンテナ船は雑貨船から発展した約500TEU積載型に始まり忽ち巨大船化した。今や4,000積は常連、主要航路では8,000積が普遍化し10,000積以上が現れ、全長でも400m近くとなり巨大原油タンカー:VLCC(Very Large Crude Carrier)を凌いだ。
  • 自動車専用船:PCC/PCTC(Pure Car Track Carrier)は、頻繁に日本の自動車工場の岸壁に出入りするので、海交法の巨大船規制を受けない全長200m以下が効率的なようだ。それでも船型を合理化して最大級では約6,000台の中型乗用車を積載可能としている。
  • 鉄鉱石専用船もVLCCタンカー並みに超大型化された20万重量トン(Dead Weight Tonnage)級のVLOC (Very Large Ore Carrier)が出現するや、瞬く間に30万トン級に増大した。その要目は、全長:340m、幅:60m、深さ:28.15m、総トン数:160,774トン、速力:15kts、機関:三井B&W 7S80MC-C 23,640kW、鉄鉱石の積載重量:327,180トンである。この船型が2008年に50隻も発注済みで今後の主流と見られ、資源輸送における省力/エネを含む経済性の追求に因って40万重量トンも計画されており、港湾と航路の許容限界まで巨大化され続ける船舶の本性を物語っている。

※写真はイメージ

第一次世界大戦頃には海交法が定義する「巨大船」は、世界の海で稀に出会う程度の存在でしかなかった。当時の人が偶然にそれを観た時、周囲の船舶や港湾施設と比較して超弩級の威圧感に痺れたに違いない。巨大船を見慣れた現代人でも、大海原で行き交う巨大船は特に大きく感じないが港に入って来ると威圧感十分である。そして岸壁付近の構造物に迫るとその巨大さは歴然で、そこで荷役を待つ車両群を俯瞰すれば船腹の莫大さは瞭然である。また入渠時には、船渠:DOCK内へ引き込まれた船体が渠内の海水を抜かれて渠底の盤木に座った時、その全貌を目にすることができる。普段は水没している赤色塗装された船側下部と船底部が人間空間に曝け出され隅々まで整備ができる状態となる。巨大船ともなるとDOCKの上縁からでは、さながら大きなビルの屋上から隣接するビルを眺める如くである。その船体外観を検査するにはDOCK上縁周を巡回すると共に船底下の昼間も薄暗い渠底へ降りて船底外板・推進器・舵に接近するのだが、そこから見上げる船体はうねり聳える船側が覆い被ってくる威圧感とスリルが味わえる。盤木上に座った船底と渠底の間隔は、丁度港内を航行中の大型船が船底間隙:UKC(Under Keel Clearance)として許容限度とする1.5m程度である。港内では水深が正確に測量され船舶が低速で航行するので、通常UKCは喫水の10%(喫水20mなら2m)を最低限として確保している。この間隙の間で背をかがめて上目遣いに船底を検査しながら渠底を歩んでいると、ふと、この程度の間隔では海底に突起物が在れば簡単に船底接触してしまう危険性を如実に感じると共に海底に集う魚類が気になった。連続的に30万トンの海水を排しながら縦横面積300mx60mの船底が彼等の頭上を掠めるのであり、丁度我々の職場の天井が時速20kmで移動したならば、さぞや驚天動地に皆がうろたえるだろう。

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