安達 直
水平線の果てへ
造船と航海の技術は、沿岸航行が盛んな瀬戸内海や地中海などの多島海を揺籠とし、やがて新天地を求めて大洋航行を敢行させる迄に成育した。15世紀にはマゼラン船長等が、大洋の果てに在るだろう陸地を漠然たる目的地として未知の航海に挑戦した。夢の新天地や財宝を求めて道も無ければ標識も無い海原を、再び陸に行き着く迄ひたすら冒険的に航行した。この好奇心こそが、堪航性の高い船舶の建造、海図の精度向上、大洋での自船位置「船位」測得等、造船と航海の技術を発展させた根源と言える。そのお陰で近代以降の航海者は、詳細な海図に示された遥かな目的地へ最適な航路を選択して到達できるようになった。
クロスベアリング
今日では常に船位を確認して針路を修正しながら安全で効率的に航海している。陸岸沿いに航走する「地文航法」では、灯台や山頂等の方位線を交叉させて船位を測得する「交叉方位法」を用いる。連続的な早業でコンパスを睨んで「物標の方位線」を海図に記入し、2本ならばその交点を、3本以上であれば各方位線で囲まれた多角形の中心を船位とする。「物標の方位線」の延長上には船位が存在するので、それらを「位置の線」とも呼ぶ。3つ以上の物標を同時で正確無比に観測できれば、それらの方位線は一点で交わり正確な船位となる。
しかし20ktsで走る船舶は1秒間に約10m進むので、数秒間隔で測得した複数の「位置の線」は一点で交叉せず「誤差の多角形」を生じる。これを小さくするには測定精度を高めると共に、各目標の測定時間を極力短く数秒以内とせねばならない。そこで、電話番号と同じく10桁数の暗記は並の人間技として、5つの物標のコンパス方位の下2桁を瞬時に記憶するように訓練された。例えば、方位度数が088、149、198、226、329の各方位線は、下2桁を「パパ良く食うわ煮ろ肉」と無理やりの語呂合せで束の間だけ覚えて海図に素早く記入したものだった。
天測
また、全ての物標が水平線に没した大海原に在っては「天測」:Sight(サイト)した天体の高度と方位から船位を求める「天文航法」が完成された。天測時の「推定位置」:Dead Reckoning Positionに於ける天体の高度と方位を「天測暦」データから算出し天測値と比較する。両者の差分だけ推定位置から天体の観測方位へ延ばした点にて直交する直線「位置の線」を決定する。方位の異なる2つ以上の天体をほぼ同時に天測して「位置の線」を図示し、それらの交点を船位としている。「位置の線」を3つ以上得ると、これまた「誤差の多角形」を形成するが誤差論等の理屈はさて置き、その中に真位置が在る場合が多い。
天文航法の要件は、先ず高精度の光学式測定儀:「六分儀」の開発と、それを用いて天体の高度、即ち水平線からの仰角を測る技術の修得である。
天測は天体と水平線の両方が明瞭に見える時に行うが、薄曇りや荒天等の悪条件下でも可能にするのがプロである。第二次世界大戦中の潜水艦には、敵のレーダ捕捉を避けて暗夜の瞬時浮上する間にサイトを完了させる専門の練達者が居た。常に眼を養生して闇に慣らして置き、天測計算等の視力に悪い作業は下士官に任せたそうだ。
次に、刻々と移動する天体を測った時刻を正確に表示できる時計「時辰儀」:クロノメータが必須となる。その開発に懸賞が賭けられた程、大航海時代には垂涎の的であった。私が入社した頃にはそれを凌ぐ性能の腕時計が普及していたが、初乗船した商船には未だ「時辰儀」が親時計として船橋の海図机の中に鎮座していた。クロノメータ腕時計を付けた新米の航海士が、毎日、時辰儀のネジを巻き上げて短波時報と整合・記録し、甲板手は船内各所の時計合わせに回っていた。こんな時代ギャップの甚だしい作業は、電気水晶発振式に進化した時辰儀が他の時計と連動されたお陰で消滅した。