航海士に絶対に不可欠な能力であり、兼ね備えるべき技能である『現場力』の話です。
まだ経験の少ない航海士と一緒に作業をしていて思うことは、「ああ、ここも教えてあげなければ。」「私達が知っていて当たり前と思っていることでも経験したことがない人にとっては、ちんぷんかんぷんなのだなあ。」「こんなことを知っていた方が将来役に立つのになあ。」「ひょっとしてこれも知らないのかなあ。どうのように説明すれば解り易いかなあ?実際に見せるのが一番理解し易いだろうなあ。」と様々な思いを巡らせています。
もちろん自分に置き換えてみれば、同じ若い頃には船という現場のことをほとんど知らず、何事もちんぷんかんぷんで、頭と体を使って汗をかきながらひとつひとつ覚えていく以外に方法はありませんでした。例えば「パイプレンチ」を使ったことがない人が初めて使うと上手に使えません。一生懸命に力のかからない方向へ回して、からまわりさせています。力のかかる方向にパイプレンチを回すと簡単に丸いパイプを回すことができます。道具一つとっても使い方にコツがあり、実際に道具を使ってみて初めて自分のものになるのです。
皆さんは割りピン(Split Pin)を知っていますね。
ある外国人の若い見習航海士と一緒に仕事をしていたときのことです。舷梯のシーブが固着して回らないので、見習航海士に外すよう指示しました。まず、軸の脱落防止のために付いている割りピンを抜くのですが、何とこの航海士は割りピンの頭をいきなり叩き始めました。割りピンは抜けないようにエンドがYの字に曲げられているので、先ずはピンの曲がりを直さなければいけません。ましてや割りピンの頭を叩いても割りピンが抜けるはずがありません。知らない、経験していない、というのはこういうことです。さらに、彼はシーブを復旧したときも割りピンを入れて、そのままで終わろうとしました。割りピンが脱落しないようにYの字に曲げることを知りません。
このように単純な作業でさえも理屈では理解できていても実際の現場では体が的確に動きません。やはり日頃から現場作業に携わって、道具の使い方や要領、機器の構造、分解・組み立て手順を自分で体感して初めて自分のものにすることができるのです。
固着したナットをチスで割る作業をさせたときのこと。普通、チスをナットが緩む方向に当ててハンマーで叩きます。そうすれば、比較的簡単にナットが緩むか、もしくは割れます。しかし、この航海士はナットが締まる方向にチスを当てて叩いており、ナットの回転方向のことは全然考えていません。ちょっとした作業のコツも現場で経験してこそ身に付くものです。
まさに航海士の現場力です。ウィンチの軸受けやクラッチ部のグリースアップはウィンチを回しながら行うとか、タグラインのストッパーの取り方、トルクレンチの使い方等々現場の甲板部作業を知っていることが航海士の現場力です。甲板部の作業計画を立て、甲板部員に作業命令するときに、その仕事がどれぐらいの労力が必要で、どれぐらいの時間がかかり、どんな道具が必要か、どんな危険が潜んでいるか、どんな安全対策が必要か、どんなトラブルが発生しやすいか等々を把握していなければ決して効率良い作業計画立案や安全な作業指示を下すことはできません。そのための現場力です。現場力を高めることが自分の幅を広げ、安全性や効率性の向上につながるのです。