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憧れの氷海航行

辺り一面が氷に覆われた幻想的な極寒地における『氷海航行』の話です。

LNG船でロシアの「プリゴロドノエ」という港へLNGカーゴを積みに行きました。このプリゴロドノエは樺太(サハリン)の南端にあるアニワ湾(Aniva Bay)の奥にある港ですが、冬季の1月から4月頃まではオホーツク海から流れ込む流氷で湾一面が氷で覆われることになります。海水は塩分を含んでおり凍り難いのですが、ロシアのアムール川から海に流れ込んだ川の水が凍り、それが風と海流により南下し、アニワ湾や稚内・知床付近まで流氷として流れてきます。私が船長として乗船したLNG船はその氷海域をIce Breakerの先導なしに単独航行で進みます。

もちろん私にとって初めての氷海航行です。不安と恐怖で、さすがに前日の晩は熟睡できませんでした。氷を割って航行すると船はどんな状態になるのか、どんなことが起こるのか想像しようとしても見当もつきません。まさに未知との遭遇です。氷海域に進入し、氷盤に遭遇するのは未だ夜が明けぬ早朝です。風がほとんどない穏やかで真っ青な海面をサーチライトで照らしながら進むと、真っ白い小さな氷のかけらが一つ二つ、ポツリポツリと浮かんでいるのを発見しました。

まるで海洋生物が海面上を漂っているような幻想的な光景です。その氷片の数が次第に増し、気が付いたら辺り一面に氷が敷き詰められた状態の中を航行していました。「百聞は一見にしかず。」の言葉通り、実際に氷海に入り氷を押し割りながら航行する状況を目の当たりにすると、次第にその周囲の氷の状況、本船の航行方法にも慣れて、不安が取り除かれていきました。

しかし、いくら慣れたとは言え、前方の氷の厚さや大きさを正確に把握することはできません。目視で氷の状態や色を見て判断するしかないのです。分厚い氷とぶつかるのではないか、厚い氷に覆われて閉じ込められるのではないかという恐怖心は常にありました。
氷海航行に備えて関係先から毎日、最新の「Ice Map」を入手します。Ice Mapには湾内の氷の分布状態と推薦航路が記入されています。本船が航行する航路は原則的にはその推薦航路に沿って航行することになるのですが、実際にはIce Map通りの氷分布ではありません。予想以上に氷が多かったり、少なかったり、その時々の状況は現場を航行して見ないとわかりません。
従って、前方の氷の状態を肉眼、カメラ、レーダー等で注意深く観察し、できる限り氷盤が薄いと思われる方向へ針路を調整しながら航行するしかないのです。航行中に氷の状態を見極める具体的な方法としては視認、レーダー、サーチライト、船首設置カメラ、赤外線カメラがあります。
夜間に氷海を航行する場合はサーチライトで海面を照らしますが、到達距離が短いため、せいぜい1、2マイル先の氷の状況しかわかりません。夜間の氷海航行で最も有効であったのは、赤外線カメラです。船首に設置している赤外線カメラには氷が白く映ります。闇夜でなにも見えない状態でも船首方向の氷が白くはっきりと映し出され、遥か水平線上に浮かぶ氷群の状況をある程度把握することができました。

氷海航行の操船方法ですが、まず、船が氷に衝突する際の衝撃力は速力の2乗に比例するため、氷海域に入る前に減速する必要があります。そこで、氷海へ進入する前にS/B Eng.とし、Full Aheadの速力で航行します。そして、ある程度分厚そうな氷盤へ進入するときは衝撃による損傷を防ぐためにHalf Aheadに減速します。そして船速が氷の抵抗により1、2ノット低下し始めると、Full Aheadに増速して船の速力をキープします。やがて氷盤のない海域にでますが、暫くすると再び氷海域に進入することとなります。これの繰り返しの操船が港外へ到着するまで約6時間続きます。

氷盤の状態を把握するために重要な3要素は、氷の①密接度 (Concentration)、②厚さ (Thickness)と、③大きさ (Floe Size)です。この3要素を見極めて極力密接度の小さい、厚さの薄い、大きさの小さい氷域を選択しながら航行することが、氷海航行の全てと言っても過言ではありません。氷の密接度とは雲量と一緒で海面上に氷がどれだけ詰まって存在しているかの度合いです。
小さい氷ならば、たくさん浮いていても航行に支障はありません。しかし、何百メートルもの大きな1枚の氷に進入する場合は要注意です。1枚の氷ならば密接度は100%となります。船が大きな氷盤を押し割るには相当な力が必要です。割って進む目の前の氷盤一枚の大きさが小さいほど、楽に割って進めることになります。

密接度、氷盤の大きさの次に氷の厚さが問題となります。氷の厚さは目視による色合いである程度見分けることが可能です。グレー色の氷は厚さ10cm以内の氷で下の海水の色が透けてグレー色に見えるのです。色が白色になるほど氷の厚さは分厚くなり、真っ白な雪が表面に積もっているような氷は要注意です。雪が積もるぐらい長期間溶けずに漂流している氷ですから、厚さが40、50cm以上の可能性が高くなります。LNG船がどれぐらいの分厚さの氷を割って航行できるかは本船の船型・出力や氷の密接度・厚さ等によって異なります。

私は氷海航行の限界を知る貴重な体験をしました。氷盤を割りながら航行しているときに氷圧に負けて船の行き足がなくなり停止してしまったのです。アニワ湾の中央付近を航行中に白い氷盤域に出会いました。氷盤の大きさは長さ1000m以上ありましたが、厚さ20、30cm程度の氷盤だと判断して進入しました。

ところが、Full Aheadで10ノット以上あった船速がみるみる低下し、あっという間に4ノットまで落ち、さらにどんどん落ちて行き、とうとう船速ゼロとなってしまいました。さすがにこのときは焦って冷静でいられませんでした。このまま氷に閉じ込められたら脱出のためにIce Breakerの支援が必要になるという思いが頭をよぎりました。付近で粉々に割れた氷の厚さを見ると50、60cmはありました。右写真がその当時の様子です。

すぐに船尾のプロペラ周囲の安全を確認しながらAstern Engineを使用して氷盤から脱出することを試みました。船尾後方から氷が流れ込んで舵やプロペラが損傷するのではないかという懸念もありましたが、閉じ込められるわけにはいきません。Dead Slow Astern Engineをかけると1分後には後進行き足が得られました。

幸い分厚い氷盤に進入してから500m程度の地点だったので、ゆっくり2ノット程度で後進し、氷盤からの脱出に成功しました。脱出後は針路を大きく左に取り、氷盤を迂回するように航行しました。結局、船体、舵、プロペラに損傷はなく大事には至りませんでした。最終的には船長として氷海航行を2航海経験しました。様々な苦労も多かった氷海航行ですが、今となっては船乗り人生の中でも最も印象深い出来事の一つとして脳裏に鮮明に焼きつき、一生の思い出となりました。


参考
海氷情報センター海上保安庁

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