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帆船

安達 直安達 直

櫓櫂舟から巨大船までを操ることに恵まれた海技者として、また、その海技力を礎にした船舶管理者として、海運が急成長した時代を生きて心に残った経験や持論を纏めておきたい。これが、島国に住みながら何故か海洋と船舶に心の底から馴染めないのか、それらを文化基盤と成し得ていない日本人への水先案内になればと思っている。海や船に関わっている人か否かを問わず、それらの素養として読んでもらいたい。

帆走

学生時代のヨット競技経験は巨大船の操船にも多いにプラスになったが、敢えてマイナス面を先に挙げる。安全で公正なヨット競技のために「国際ヨット競技規則」があり、衝突や障害物との接触等の防止や罰則を定めている。この競技規則の元となっているのは「海上衝突予防法」であり、その目的は「海上における船舶の衝突を予防する」とされている。

しかし小型ヨットのレースでは、相手艇を避航すべき艇は勝敗に固執して余計な距離を走らずギリギリで航過する。俊敏な操縦性能もさることながら衝突を万事休する破綻と捉えていない。同法に規定する「避航船は相手船から十分に遠ざかるべく、出来るだけ早期に、かつ、大幅に動作を採る・・・」を遵守していない。また転覆「沈」しても直ぐに起して再帆走できるので極限的に航走する。「沈も競技の内」と言われているがシーマンシップに悖るとも解釈できる。更に競技規則に違反してもその場で数回廻る等の罰則を履行すれば救済される場合もある。

学生ヨット部時代には帆走を極めるために練習したが、このようなレース感覚は一般の船舶交通では絶対に御法度である。衝突や転覆の危険が生じる状態は早々に回避すべしと肝に銘じて置かねばならない。そもそも帆船はマストを介して船体上の高い位置にあるセールで推進力を得て、水の抵抗等に打ち勝って船体を前進させる。推進力と抵抗力が船体に直接作用する動力船と異なり、帆船では両者の作用点が大きく離れており回転モーメントが発生している。この本質を見極めて転覆させず安全で効率的な航行を果たすためには両作用の均衡確保が必須である。国威を懸けたヨットレース:アメリカズカップに参戦した艇長は次のように「帆走」を語っている。
「Sailing is a matter of balance, we have to know our boats, it takes many hours of practice.」

※写真はイメージ

巧く帆走するには、狙う針路で最適な角度で風をセールに流して発生させた揚力を、無駄なく船体の推進に活用できるように関連する要素をバランスさせるのが肝腎である。ティラー:舵柄に掛かる力を感じながら、セールをトリムして安全に速く走る感覚と技術が要求される。無闇にセールに風を孕(はら)むと推進力に利用できないばかりか転覆の憂き目に遭う。風力や推進力を表示する計器類の無いままに理論に叶った「帆走技術:ソフト」を体得するのが帆走訓練であり、変化する気象条件の下でこれを繰り返して上達する。その時の風力に見合った艇速を得られているかを体感できるようになる。

最高の「艇体と帆装:ハード」を得るには、繊細で敏感なソフトを駆使しながら納得するまで試行錯誤を続ける。また、より速い帆走を可能とするソフトを磨くには、下地となる身体の鍛錬が重要となる。例えば、横・追風を受けて快走中に一段と強烈な風浪を受けると、艇が風下に大きく傾くと同時に風上へ切り上がる。これを許すとブローチング状態に陥り風浪に倒される危険性があるので、全力でこれを凌いで遮二無二爆走できるように訓練を繰り返す。

ある先輩曰く「ソクラテスの頭脳とゴリラの体力がヨット競技には必要だ」。切り上がりを防ぐには、艇の横傾斜:ヒールを起しながら風浪の下手へ舵を取り続け得るだけの俊敏で強大な身体力を要する。話は変わるが、この時、小型ヨットでは船体の傾きを起すために風上舷に身を乗出すので海面付近の舵が見える。風上への切上がりで風下へ振られる船尾の動きを止めようと孤軍奮闘する舵の周囲には渦が巻き、ブローチングによる転覆を防止する舵力が良く解る。航走中の漁船が追手の風浪を受けて転覆する事故は、依然、後を絶たないが、この「当て舵」が十分に発揮されているのだろうか。

展帆

風速は、海面上50m高のマストの上方と下方ではかなり差がある。海面や地表の付近では摩擦によって低下するが、略高さの二乗に比例するように速くなる。縦帆のセールが上方ほど狭くなっているのはこの理に適っており、船の安定性からみても当然の形に淘汰されている。

また、帆桁を出し入れしてセールに当てる風の角度を調整する際、帆桁付近のセール下部はその角度に追従してもセール上部は帆桁よりも風下側に開いてしまう。これも上部の風の強さによる自然現象であり、セールが捩(よじ)れ:ツイストした形になる。これらを調節:トリムしてセール全体で効果的に揚力を発生させているが、オランダの風車の羽根帆布も同じ理屈でトリムされている。「日本丸」等の横帆船でもマスト最下部セール「LOWER SAIL」の帆桁は最も風上に引き込まれ、順次、上方のセールは風下に開く。最上部の「ROYAL SAIL」の帆桁は、最下部のものより15度程開いた綺麗な捻り曲線を描いている。帆船乗りはマストの下から必死に見上げ、高さで違う風速に合った滑らかな曲線美を求めて各帆桁の両端索を調節し張合わせる。

セールのトリム用語に「逆帆を打つ」との言葉があり、帆の前面に風を受けて前進力を失う状態を意味する。大型帆船ではマストの構造や支索を張り具合からも帆装の破壊を招く危険な事態とされる。尤も風に切り上がる性能に優れた新鋭帆船は、向かい風でも素晴らしい帆走性能を持つ。大洋風水系の循環方向に逆らわぬ航海しか出来なかった昔の大型帆船時代とは違う。将来は環境対策として高性能帆船での新航海時代が来るかも知れないが、その時には是非、船長として乗りたいものだ。

化石燃料の節減が地球を救うとの意見が重要視されるこの頃では、船舶運航の高効率化が研究目標として脚光を浴びている。このための造船技術と共に帆船的な海技センスが追求されるべきである。かつて我が国の商船士官になる教育課程には半年の大型練習帆船(日本丸と海王丸)での遠洋航海実習が組まれていた。この狙いは自然界の力に反抗せず、それらを乗組員が体感しながら共同作業によって推進力に転化させて航海を成就するからである。しかし時代の趨勢は、高馬力で巨大化した現実の商船での実務教育を有効とし、帆船教育は非効率とされ練習帆船が減少した。

海技分野のみならず多くの技術がハードで代替され専門技術者が減っているのは、安全と効率を求める企業文化の成り行きであろう。されど、環境破壊と同じく人類への警鐘としても受け止めるべきであり、決して仕方の無いものとして放置すべきではなかろう。帆船の教育が絶えても、帆走原理は人間として知っておくべき知識、使うべき技術であり、できれば実践するのが良く人生のプラスになろう。風は海陸問わず何処でも吹き、それを受ける物体に風圧という予期し難い力を及ぼす。世の中では強風に煽られての事故が頻発しており、傘をさして街を歩くにも常に風を警戒すべきだが最近では風に無防備な人を多く見かける。
受圧力 ∝ 受圧面積x風速

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