陸上と同様に船においても関係者と様々な局面で交渉する機会があります、そんな『交渉』の話です。
昔は、「外国航路の船員は小さな外交官だから、海外へ行ったら日本人として恥ずかしくない立ち居振る舞いをすること。」と言われました。現在もある意味ではそうなのでしょう。しかし、本物の外交官にとっては国と国との外交戦術として、「駆け引き」や「はったり (ブラフ:Bluff) 」はつきものです。酷く醜い「はったり」や「うそ」を船で使う必要はありませんが、交渉を有利に進めるために多少のブラフが必要なときがあります。乗組員に対しては誠意ある対応が望ましく、「うそ」や「はったり」は不要ですが、対外的な交渉や駆け引きをするときには必要ならばある程度の「はったり」は躊躇せずに使いましょう。
私も昔、船長さんに言われたことがあります。「相手と交渉するときは正直なだけではだめだよ。ときにははったりが必要だ。君は真面目で正直すぎる。もう少しはったりを使うことを覚えないと。」 その言葉を今でも忘れません。
その頃は年齢も若く、ある意味とてもピュアーだったので、「船長が言うことは間違いだ。そんなことはない、はったりは誠実さに欠けており人としてダメだ。私ははったりは大嫌いだ、絶対に認めない。はったりを平気で使う人は卑怯だ。」と本気で思っていました。しかし、年齢を積み重ねて船長という立場になり、つくづく思います。やはり「はったり」は時と場合によっては必要です。「蕎麦屋の出前」ではありませんが、「嘘も方便」、うそも付き通せば本物と同じ意味を持つようになることも少なからずあるのが世の中の現実です。
例えば、ある港で何度も食糧を納めている船食業者が、次第に手抜きを始めたり、儲けを増やすために食糧の品質を落としたり、価格を吊り上げたりしたとします。そんな時は、「お宅が納める食糧の質が良くないようなので、次回から違う業者にさせてもらうかも知れない。」と言います。本当は業者を変える気もないのに船食業者にプレッシャーを与えるのです。すると相手も必死になります。次に納める食料の品質や価格が大幅に改善されること、間違いなしです。
大昔は船会社が各港で船食業者を指定しており、どの船も会社指定の船食業者を使用せざるを得ませんでした。しかし、今では船長オプションの港がほとんどです。船長が好む船食業者を独断で決めることができます。ですから、船長のご機嫌を損ねると食料を注文してもらえなくなるため、船食業者は常に船長の顔色を伺っています。
もう一つ例を挙げると、造船所やメーカーの責任で修理すべき保証工事があるとき、その修理作業の手配が遅かったり、なかなか先へ進まなかったりすることが多々あります。造船所やメーカーの明らかに怠慢な対応が見られるときには、少々きつい言葉で脅しをかけます。「この不具合で本船が被る損害費用は全額そちらへ請求させてもらいます。場合によっては莫大な損害費用が発生しますよ。」この一言で、造船所やメーカーは今まで重かった腰を上げ、対応のスピードが突然早くなったりするのです。このように対外的な戦術として「脅し」や「はったり」がときには必要となるのです。
若い航海士が誤解して、うそやブラフだけの人間になってもらっては困りますが、外的な圧力に対抗するときや駆け引きをするときにはブラフが必要です。航海士は交渉力を問われることが多く、「交渉力」という能力も養わなければいけません。ですから、皆さんも年齢、経験、立場に応じて適度のブラフを使いこなす巧みな技を習得して下さい。