船員が船上で迎える『お正月』の話です。
船員にとって、乗船中は盆も正月もありません。正月を赤道付近で迎えることもあれば、外国の港で停泊中に迎えることもあります。「船員に盆や正月はない、下船してゆっくり過ごす休暇が船員の盆と正月である」とよく言われます。
世間では盆や正月に長期休暇を取り、実家に帰ったり、久しぶりに友人・親戚に会ったり、旅行したり、自分の趣味に時間を費やしたりしますが、船員は下船してから充実した時間を過ごすことになります。船員は長期休暇を家でゆっくり過ごしていますが、世間の人々は日々の仕事に追われています。船員の休暇は平日も土日も関係なしですが、肝心の友達は仕事で忙しく、なかなか遊びに付き合ってもらえないのが現実です。
「一年の計は元旦にあり」と言うぐらい日本人にとっては正月が一年の始まりで、重要な年始行事となっていますが、フィリピン人にとってはクリスマスが最も重要な行事です。フィリピン人船員がクリスマスを家で過ごしたいという思いは私達の想像以上に強いのです。彼らの多くがクリスチャンであることは周知の事実ですが、その理由だけでクリスマスにこだわるのではありません。
彼らがクリスマスをなんとか家で過ごしたいと強く希望する理由は、親族一同が顔を合わせる絶好の機会がクリスマス時期だからです。彼らの親族には海外へ出稼ぎに出ている人もたくさんおり、クリスマスには何年ぶりかに帰国する親族もいます。彼らにとってのクリスマスは日本人の盆と正月とゴールデンウィークが一度にやってくるようなものなのです。従って12月のクリスマス前の下船希望が殺到してしまい、船員配乗に支障が出ます。クリスマス時期に乗船できるフィリピン人予備船員の確保が難しいので、会社は対策として原則として12月はフィリピン人船員の交代を認めません。会社は彼らの交代時期を分散させようと必死です。
日本人の正月と言えば「もち」が欠かせません。私が三国間航路の船に乗っていたときのことです。もうすぐ正月がやって来るのに、海外のどの港でも「もち」が手に入りません。そこで船内にたまたま残っていた「もち米」を使って自分達で「もち」を作ることにしました。せっかくの正月なので、お雑煮の「もち」や鏡餅ぐらいは何とか用意したかったのです。しかし、何せ生まれて初めての「もち」作りなので作り方がよくわかりません。
まず、もち米を炊飯ジャーに入れて炊き、ボールに入れて「もち」をつき始めました。最初は良い感じでつけていましたが、次第にもち米は「もち」にならずに、糊のようにべとべとしてきました。水分が多すぎて糊状になってしまいます。諦めずに次の日も水を少なめにして炊飯ジャーでもち米を炊いて、チャレンジしましたが、結果は同じでした。結局、中途半端な糊状の「もち」を皆で我慢して食べました。後から判ったことですが、「もちはもち米を炊いて作るのではなく、蒸して作るもの」でした。小さい頃から家で「もち」をついたことがある人には常識だったかも知れません。今から思えば笑い話の一つとなっていますが、当時の私にはもち米を蒸すことに考えが及びませんでした。
皆さんは「正月潤食費」という言葉を聞いたことがありますか?いわゆる「もち代」です。会社と労働組合の取り決めである労働協約に明確に規定されており、通常の食料費以外に正月(新年)を祝う目的で酒肴等に支出する予算があります。日本人乗組員1人当たり4,680円(2020年
混乗船が当たり前となった現在では、外国人乗組員にも正月潤食費が支給されており、フィリピン人はクリスマスパーティーの食材費に充当し、インドネシア人はチョコレート等家族へのお土産代とすることが多いようです。ちなみに、「おせち」とは「お節句」が変化したもので、節句料理のことです。お正月は台所で煮炊きをせずに静かに神様を迎えるために節句料理(おせち料理)を食べるのが日本の風習です。