はじめに
近年、自動運航船やAR、AI、海洋ビッグデータの活用など、新たなテクノロジー(ここではe-Navigationと呼びます)に関する話題を海運業界でよく聞くようになりました。一方で、実際の運航現場では、それらのトレンドを実感する場面は、まだあまり多くはないのではないでしょうか。しかし、実際の運航でも小さなe-Navigation技術が少しずつ浸透しつつあります。今回はその1つ、PAYS(Pay As You Sail)について、その技術要件の一部も交えて、ご紹介したいと思います。
購入前でもENCが閲覧可能 & 航海に使った分だけ自動課金:PAYS(ペイズ)とは?
以下の作業フローは、PAYSを導入していない、従来の航海計画の手順をまとめたものです。この方法では4ステップ:①事前にチャートカタログで航海に必要な航海用電子海図(ENC)を選定し、②それらを購入します。そして、購入したENCが届いた後に③航海計画を作成し、④実際に航海が行われます。また、ルート変更があった場合や航海計画中にENCの不足に気づいた場合には、再び②の発注作業を行う必要があります。
- チャートカタログで航海に必要なENCを選定
- 選定したENCを購入
- 購入したENCが届いた後、航海計画の作成
- 実際の航海
一方、PAYSを導入した場合には、全世界の海域(シンガポール海峡、インドなど一部の海域を除く)のENCが事前の購入なしに閲覧できるようになっているため、作業フローは以下のように、2ステップ:①航海計画の作成と②実際の航海に簡素化されます。航海した海域のENCのみが使用後に自動課金されるので、人が発注作業を行う必要がありません。事務作業が減るだけでなく、例えば、航海計画を立てたが航海しなかった場合など、使用しないENCを事前に購入せずに済むメリットもあります。
- 航海計画の作成
- 実際の航海
このPAYSは2012年にノルウェーのNAVTOR社がサービスを開始したのを皮切りに、日本海域でも2018年からPAYS利用が解禁され、外航船では徐々に浸透しているサービスです。読者の中にも、同サービスを利用された経験のある方が多いのではないでしょうか。
本当に正しく課金されるのか?
前述のように、PAYSサービスは、実際に航海した海域のENCのみが自動的に事後課金される仕組みです。非常に便利なサービスである反面、本当に正しく課金されているのか、システムの信頼性が問われることになります。
例えば、航行していない海域のENCが課金された場合には、ユーザーは余分な支払いを負うことになり、逆に、航行した海域のENCが課金されていない場合には、ENCの頒布元に対価が支払われなくなります。つまり、PAYS提供者のシステムの信頼性によっては、正しく課金されない可能性が懸念されます。
そこで、RENC(Regional ENC Coordinating Centre : 地域電子海図調整センター)である、PRIMAR & IC-ENC は ”SPECIFICATION FOR PAY AS YOU SAIL SERVICES FOR VALUE ADDED RESELLERS AND NOTIFIED BODIES” を定め、
- 本船が使用したENCの全て、または、少なくとも99.8%の精度で抽出し、
- 72時間以内にPRIMAR / IC-ENCに報告 (ここでは課金という意味) すること、
- 少なくとも99.8%の精度が担保されるように船舶の位置情報を正確に取得すること
など、厳しい技術要件と、それらを満足しているかを確認する認証プロセス(テスト方法)を明示しています。また、認証の有効期限は3年間で、更新するためにはその都度、同条件を満たしているかの監査を受ける必要があります。さらに、PAYS サービスを提供する企業の前提として、ISO 9001の品質管理システム(QMS)証明書を保持していなければなりません。
このように、PAYSサービスを提供する企業が種々の技術的な要件をクリアし、かつ、第三者による監査を経ることで、ENCが適切にユーザーに提供されることを担保しています。
おわりに
私が航海士として外航船社に入社した2005年頃は船上で書類作業が山のようにあり、(自分の技量不足は多分にあると思いますが…) その作業に追われて、相当苦労しました。当時、私が大変お世話になったキャプテンは「昔はもっとのんびりしていた」とよく仰っていたのを覚えています。
今回紹介したPAYSサービスは自動運航船の開発に比べれば、その話題性や先進性は小さいものかもしれません。しかし、実務を担当される方にとっては、事務作業の低減とヒューマンエラーを防ぐという意味で、非常に大きな効果を実感できるサービスなのではないでしょうか。今回紹介したPAYSのような小さなe-Navigation技術の開発と導入が一歩一歩進むことで、将来、船乗りがより豊かになれる「大きな果実」が見えてくると信じています。