よもやま話を読んで頂く前に、筆者である私の経歴を簡単に紹介しておきます。私は昭和56年(1981年)に船員になりました。振り返れば早や33年の年月が経ちます。(これを見てくれている若手航海士は)おそらく、いや間違いなく、皆さんが生まれる前から船員をやっていることになるでしょう。33年間という長い年月の間に船員を取り巻く環境は大きく様変わりしました。私が入社した頃の海運業界は構造的不況及び海運市況の悪化による八方塞がりのどん底で海運会社にとって最悪の時代でした。当時の各海運会社は緊急雇用対策という御旗のもとに非情なほどまでに容赦なく船員の首切りを断行しました。その後、日本人全乗船から少数精鋭の近代化船へ、さらに外国人船員との混乗船へと変遷を経て現在に至っています。そして、皆さんが船員となった現在も海運業界は変革の渦中にあります。最近注目されている「船員」から「海技者」への変貌という流れも、まさに一大変革の一頁と言えます。
私は33年前に4th Officerとしてタンカーに初乗船以来、現在までに延べ35隻の外航商船に乗船したことになります。最近の船員の勤務サイクルは海上勤務より陸上勤務が長期となる人が多いようですが、私の場合には海上勤務が圧倒的長く、乗船経験が非常に多くなりました。その乗船経験の豊富なことが他の人にない数少ない私の特徴であり、生涯の貴重な財産として私の思い出に残っています。経験した船種はLNG船、タンカー、鉱炭船、バラ積船、コンテナ船、自動車船です。コンテナ船/自動車船の経験は少ないですが、鉱炭船を含むバラ積船、タンカーそしてLNG船には数多く乗船しています。さらにその中で、艤装1回、売船2回、修繕ドック11回を経験しています。役職としては、4/O(1隻) 3/O(4隻) 2/O(1隻) Watch Officer(6隻) 1/O(4隻) C/O(6隻)、 そして、船長でなんと13隻です。
自分の長年の乗船経験で得たものをこの世に残したいと言えばあまりにも大袈裟です。しかし、近年、後輩への「海技の伝承」が容易ではなく、船内での先輩のかた振りも極端に少なくなったと言われる中で、少しでも若い航海士の参考になればと思い、あるいは船員という職業の灯りを消さずに伝え残すものが何かないかと思い、私の経験した事柄、私が知っている知識をできるだけ判り易い言葉で皆さんに伝わるように書き記したのがこの「よもやま話」です。
若手航海士とは誰のこと? といっても年齢制限や経験年数による明確な定義はありません。実乗船が3、4隻ぐらいまでの人が若手航海士に該当するのでしょうか、あるいは20代の人が若手航海士に当たるのでしょうか。本文を読んで頂いて、初めて耳にする内容が多いと感じる人が、まさに若手航海士と言えるかも知れません。内容的には最近、多く乗船したLNG船に関わるものが多くなっていますが、知っておけばいつかどこかで役に立つ事柄や船内の作業・生活に関わる身近なエピソードを多岐にわたって紹介したつもりです。
「よもやま話」のよもやま(四方山)の語源は、よもやも(四方八方)です。つまり「よもやま話」とは他愛もない様々な話、いわゆる世間話です。船の話なので「よもやま話」というよりも「よもうみ話」と言ったほうが良いかも知れません。内容は皆さんの興味がありそうな、そして、参考になりそうな話題もありますが、雑談話のネタにしかならない、取るに足らない話も多く含まれています。それら様々な話を計691題撰び、順不同に並べています。従って自分の興味あるところから読み進めれば良いかと思います。意外と皆さんが知らないことや、将来先輩から教わる話も数多く盛り込んでいますので、何かの参考にして頂ければ幸いです。
本文の内容については、遥か遠く昔のことで記憶が定かでないものや不正確な記述、私見・偏見も多々含まれており、その内容に私の勘違いや事実と反する事柄があるかも知れません。その点はご容赦いただき、理解できない事柄や疑問に思うことがあれば、実際に乗船して自分の目で確かめたり、諸先輩方に直接尋ねたりして、適宜修正して自分のものにして頂ければと思います。若手航海士の皆さんがこの書を読んで、知識、うんちくとして頭の片隅に入れて、実際の乗船時に少しでも役立てて頂くことが私の切なる願いです。
「よもやま話」は、題材ごとにカテゴリー分けして本サイトに収録されますが、ここを選択していただくことで、一覧が表示されます。ご活用下さい。