航海士ならば十分に理解しておくべき『船舶操縦性能』の話です。
といっても難しい話ではなく、船体の動き(運動)の話です。船の運動は大きく分けて2種類に大別することができます。学術的には「大運動」、「小運動」と呼んでいます。大運動とは船が港内等で低速となり、タグやスラスターの支援を受けているときの船体運動のことです。船速が約5ノット以下のいわゆる舵が効き難くなった状態のときの運動を「大運動」と呼んでいます。このとき、船体に作用する力は「抗力」が支配的となります。
イメージするならば、池に浮かべた丸太を指で押すことを想像して下さい。指で押された丸太は横へ移動したり、ゆっくり回り始めたりします。丸太が船、指がタグやスラスターです。指で押された丸太は押された方向へ移動します。文字通り船が横移動したり、回頭したりする大きな運動状態です。海中にある船体への抵抗力が作用する運動、これが大運動です。普段港内でパイロットが着桟操船や回頭操船を行うときには、この大運動を制御していることになります。
これに対して「小運動」とは通常の航海中のように一定の速力で舵により操縦しているときの船体運動のことです。このとき、船体に作用する力は「揚力」が支配的となります。イメージとして、ヨットが風に対してきり上がったり、飛行機の尾翼の周囲で発生している空気の流れを思い浮かべて下さい。飛行機の翼では上下の速度差により揚力が発生し、その力で空を飛んでいますが、実は船でもこれと同じ現象が船体及び舵付近で起こっているのです。
船の場合は空気の代わりに海水の流速差が生じます。ですから、一度回頭を始めた船体運動は例え舵を中央に戻しても船体・舵の左右を流れる海水の速度差により揚力を発生し続けて、一定の回頭力で釣り合うまでどんどん回頭運動を発達させます。航海中は舵や主機を用いてこの小運動を制御していることになります。
最近は当たり前の様に操船シミュレータが操船訓練や航行安全評価(アセスメント)に用いられます。操船シミュレータによって対象となる船の動きや周囲の航行環境を再現します。コンピューターで船の刻々と変化する船速や回頭角速度を数値計算しているのです。この計算プログラムが操船シミュレータの頭脳と呼んでも過言ではありません。そのプログラムに用いられる船舶の運動モデルにも「大運動」、「小運動」の2種類のモデルがあり、その組み合わせ、切換により船の動きを忠実に再現することができるのです。
そして結果としてコンテナ船はコンテナ船らしい操縦性能を模擬し、VLCCはVLCCらしい操縦性能を模擬することが可能となるのです。操船シミュレータにでたらめな船体運動モデルを組み入れて操船すれば、それはただのテレビゲームになってしまいます。対象となる船の操縦性能や周囲の航行環境をどこまで忠実に再現できるかで、操船シミュレータの真価が問われます。
操船シミュレーター訓練である教官から教えてもらった内容で、どうしても納得できないことがあります。それはHard Port/StarboardやFull Ahead/Asternでの操船を心がけるよう指導されたことです。舵や機関の使用するときには出し惜しみ・遠慮せずに思い切って操船するという考え方は良いと思います。
しかし、実際に操船(制御)するときには、やはり余裕・マージンが必要です。そうでなければ怖くて操船できません。何も障害物のない広い海域での操船ならばFull Ahead・Full Asternでの制御で問題ないでしょうが、突風や潮流等予期せぬ外乱が発生した場合のことを考えると、やはりいざというときに備えてHard舵やFullエンジンを使う余地を残して操船すべきだと考えます。