穏やかで静かな海もときには荒れ狂う猛威をふるって船を襲うこともあります。そんな『荒天』の話です。
長い乗船経験の中には、ときとして想像を絶するような大時化に遭遇することもあります。全長300mもある大型船でさえ強烈なローリング&ピッチングで翻弄される太平洋の時化を侮ってはいけません。若い頃、乗船していたコンテナ船が航海中の大時化によって救命艇を紛失したことがあります。
北米航路のコンテナ船でしたが、冬場にロサンゼルスから日本向け航行中に猛烈な勢いで発達する低気圧と遭遇し、海上は想像を絶する大時化になりました。一晩で低気圧は過ぎ去って天候が回復し、夜明けとなりました。しかし、周囲が明るくなってびっくりです。右舷側ボートダビットがぐにゃりと曲がり、救命艇がありません。ボートフォールワイヤーがちぎれてブラブラしています。非常に大きな横揺れで救命艇が海面付近にまで達し、荒波が救命艇を海中に連れ去ったのです。
直ぐに管理会社へ救命艇が紛失したことを連絡し、次の港で救命艇の手配が間に合うかどうかが検討されました。救命艇積込みが間に合わなければ、運航にも支障をきたします。幸いにも丁度タイミング良く日本で売船となる僚船があって、本船が日本に到着し次第、僚船から救命艇を移送して積込んで何とか運航遅延は免れました。
船首に青波が上がるような荒天に遭遇する場合には、ボースンストアの水密が非常に重要です。乾舷の高い船では青波がデッキに上がることは余りありませんが、乾舷の低い船ではいとも簡単に青波が船首に打ち上がります。
大昔、パナマックスのバルカーで太平洋を渡るときにときどき大時化に遭遇しましたが、船首が青波をかぶるどころか船首部が海中に没し、暫く浮き上がってこない状態になることもありました。まるで半没水船のようです。当時、私は3/Oで、興味本位で少し面白がって、その光景を見ていた気がします。しかし、船長職を執る立場になってからは、そのときの船長の心労は相当なものだったろうなあと実感しています。船、貨物、人命の安全を守るための責任の重さは船長になって初めてわかるものです。
荒天によるボースンストア浸水事故が頻繁に発生しています。荒天が過ぎて海が穏やかになって船首部を点検します。するとボースンストアに大量の海水が浸入して、水浸しになっており、係船機のモーターや配電盤が水没してしまっているという事故です。ですから、荒天対策としてのボースンストアの水密確保・確認は非常に重要です。また、乾舷の低いタンカーではデッキに打ち上がった青波が舷梯を引きちぎるという事故も珍しくありません。寄せてくる波の力よりも引き波の力が意外に強く、デッキ上にいる乗組員がこの青波で船外へ連れ去られるという海中転落事故も発生しています。まさに「自然を甘く見るな。」という教訓通りのトラブルです。
台風ではありませんが、春先には初めて吹く強い南風を「春一番」と言います。春だから穏やかな季節だと油断していると、日本近海の海上は大時化ということがあります。この「春一番」、実は漁師が使っていた言葉を一般の人も使い始めた言葉なのです。ところで、低気圧には寒冷前線や温暖前線を伴うことが多いですが、台風には前線がありません。なぜでしょうか?前線は寒気団と暖気団のぶつかり合うときにできるもので、台風には寒気団がなく、気団のぶつかり合いがなく、上昇気流の渦が発達するのみです。そのため台風には前線がないのです。