ある船で発生した『乗組員による暴力事件』の話です。
外国人の2/OとAB(Q/M)二人のトラブルです。12-16時の航海当直が終了した直後、ABが船橋の階段を降りようとしたところ、同直であった2/OはABがコーヒーカップを洗っていないことに気づき、そのABの後を急いで追って行き、パントリー付近で追い付いて洗うように強い口調で命令しました。
ところがABはそれを拒否し、2/Oに罵声を浴びせて2/Oの腹部を1度だけ強く殴りました。私は丁度そのとき船橋にいましたが、2/Oが直ちに殴られたことを報告しに来ました。私はその瞬間を目撃していませんが、ABに事情を確認したところ、2/Oを殴った事実を素直に認めました。2/Oの方は一切手を出していません。
こういうときは正確な情報を入手して公正な判断を下す必要があります。当事者達だけの言い分を聞くだけでは不十分です。コーヒーカップを洗った、洗わなかったという問題だけでABが上司である2/Oを殴ったりするはずがありません。殴打するに至った背景・理由が必ず何かあるはずです。他の甲板部員に事情を聞くと、このABは日頃から他の甲板部員との仲が良くありませんでした。
彼は他船でボースンの経験もあり、日本人に対しては非常に従順で、友好的であり、真面目で日本人からの評価は高いぐらいでした。しかし、彼らの中では仕事をさぼったり、若い人に仕事を無理矢理、押し付けたりしていたそうです。そのため周囲の外国人乗組員からは敬遠されていたのです。私をはじめ、日本人はその事実を知って非常に驚きました。
当事者への事情聴取のタイミングも良く考える必要があります。喧嘩した直後は興奮しており、冷静な証言を得ることはできません。このときも翌日、冷静になった両人を船長室へ呼び、C/O等の立会いのもと事情聴取を行いました。そして事件発生時に2/Oには一切非がないことを両者に確認しました。
恐らく2/Oは日頃からこのABの同僚乗組員に対する態度を不満に思い、懲らしめてやろうとしてわざと厳しく対応したのだと思います。一方、ABは自分より若い2/Oのあまりにも高圧的な命令に素直に従えず、ついつい手が出たのだと思います。例え、軽く小突いた程度でも暴力を振るったことに対して言い訳はできません。他人を殴打するような粗暴な性格、そして直ちに2/Oへ謝りにも行かなかったこと、さらに周囲の同僚との軋轢が大きくなり過ぎていることから、私は下船已む無しと判断し、次の港で当人を下船させました。
他船でも同じような経験をしたことがあります。日本人に対しては非常に素直で、従順で、仕事ができると高評価していた外国人クルーが、実は彼らの中では一人孤立していたり、トラブルメーカーであったりということが稀にあります。ですから、私達日本人は彼らの一面だけを見るのではなく、常に各人の性格や人間関係を把握するよう努力しなければいけません。これは非常に難しいことですが、事件が発生して事態が重大となる前に芽を摘むためには、乗組員相互の人間関係の良否を把握することが非常に重要となってくるのです。
私が経験した様々な「喧嘩」や「ノイローゼ」にまつわるトラブルのキーワードは「孤立」です。トラブルを起こす当事者は何かのきっかけでいじめられたり、反発したり、精神的に病んだりして、異分子となり、周囲から孤立してしまい、最終的な結果として喧嘩やノイローゼになるのです。ですから、皆さんも乗組員の誰もが孤立しないよう、日頃から船内に目配りして下さい。もちろん自分自身も船内で孤立しないよう努めて下さい。
船員法 第二十四条
船長は、海員を懲戒しようとするときは、三人以上の海員を立ち会わせて本人及び関係人を取り調べた上、立会人の意見を聴かなければならない。