人の生死にもかかわる『舷梯事故』の話です。
ある船で11月の夜明け前の寒空の中、内地入湾時に舷梯までパイロットを迎えに行った航海士が大怪我をするという事故が発生しました。当時の海上は大時化で、風浪とうねりが異なる方向からやってきており、しかも暗い中で本船はパイロットボートが接舷しやすいように少しでもうねりや風浪が静まる進路に調整するのに苦労していました。
そして何とかパイロットボートが接舷できるようになり、航海士はパイロットを迎えるためにコンビネーションラダーの下まで降りて行きました。そこへ大波に翻弄されて操船が思うようにできない状態のパイロットボートが舷梯を突き上げる格好で接触し、その結果、舷梯が大きく持ち上げられた後、数メートル下まで勢いよく落下しました。その衝撃で航海士が大怪我を負ったのです。
航海士は身の危険を感じ、振り落とされないように咄嗟に舷梯のハンドレールを持ちましたが、落下の衝撃で左腕を骨折してしまいました。目撃していた甲板長の話では、舷梯がパイロットボートに突き上げられて、デッキレベル近くまで跳ね上がって、それから落ちたと言っています。よく振り落とされずにその航海士は舷梯にしがみ付いて耐えたものです。また舷梯のワイヤーが衝撃で切れなかったこともラッキーです。もし、舷梯のワイヤーが切れるか、衝撃で弾き飛ばされて荒れ狂う冷たい海へ振り落とされていたら、その航海士は間違いなくもうこの世には生存していないでしょう。現在、彼はすっかり傷が回復して現場復帰していますが、彼の左腕には今もチタン合金が入ったままです。
私たち航海士の常識として、可能な限りコンビネーションラダーの下部まで降りて行ってパイロットを迎えるべきであると認識しているはずです。しかし、事故後に海上保安部の担当者が言うには「現場責任者である航海士が下まで降りて行く必要はありません。パイロット協会(現:水先人連合会)も下まで迎えに行くよう指示していません。」との見解です。
何を馬鹿なことをと思う人もいるでしょうが、意外なことに「下部まで降りてパイロットを迎えなさい」という文言はどの規則にも規定されていません。しかし、パイロット協会発行のパンフレット等に掲載されている図には航海士がコンビネーションラダーの下部まで降りて迎えている姿がはっきりと描かれています。さらに私達航海士は舷梯の下まで降りてパイロットを迎えるよう教育指導を受けてきました。日本人航海士には舷梯の下まで降りなければ、手抜きと思われるという意識があるのではないでしょうか。
参考
ポスター「水先人用乗下船設備の要件」日本水先人会連合会
今回の事故でよくわかりましたが、結局は危険が少しでもある状況では航海士は下部まで降りる必要は全くなく、甲板上で待てば良いということになります。そもそも危険な状況でパイロットが乗船してくること自体に問題があります。大きなうねりに翻弄されるパイロットボートがどれだけ危険であるかはパイロットボートに乗船している人達が一番知っているはずです。また、現場で危険であると少しでも感じたら、航海士は絶対に下まで降りないよう自ら判断すべきです。そして、船長はほんとうにパイロット乗船作業が危険であると判断するならば、人命安全を最優先して、船長自らがパイロットに乗船を中止するよう要請することが重要です。
余談ですが、先ほどの負傷した航海士は骨折しているので、その痛みは半端なものではなかったはずです。彼は骨折の痛みを和らげるために、船内常備薬のバファリンを服用しました。しかし、後から医者が言うにはバファリンは血行を良くして痛みを和らげる鎮痛剤なので、骨折の場合は服用してはいけないそうです。鎮痛剤と言えば、頭痛・歯痛に対する鎮痛剤と胃痛・腹痛に対する鎮痛剤の2種類に分類することができます。それぞれの代表的な鎮痛剤は「バファリン」と「ブスコパン」でしょう。頭痛にはバファリン、胃痛にはブスコパンを服用します。